四書五経の中の易経についての考察


難しい事はさておき、早い話がこの考え方は人生の出来事を大きく64通りに分類し、更に事象AからBに変化するときの変化の仕方が 決まっており、その変化の変数は人生でおきる全ての事象を網羅しているという考えのようです。
その変化の仕方は順列組み合わせで計算すれば数字が出てくると思います。 人生で起こりうる事象を全て考察分類するという発想は素晴らしいです。
実際に占断するときに精神を統一し、とありますが科学であるなら精神の統一は関係なく 同一操作であるなら同一の結果が現れるはず・な・の・で・す・が・・・これがない・・。
これが、当たるも八卦当たらぬも八卦という、いい加減さと思います。

そう思うのは僕だけではないと思うのですが。
一番問題なのが、現在の状況を64卦に分類しさらに、現在がどれに当てはまっているのかを把握し、そこからどのように変化するのか、変化した後の状況の予測 までをも知りたい訳でして・・

先人はこれについて偶然という素材を加えました。判断材料にそれを加えて判断しました。つまり判りやすく言うと『サイコロ』を振った訳です。
本当にサイコロを振ったわけではないのですが。簡易なものではコインを振っての判断もあるようです。

先人のある人が時間というものに着目しました。
この着目がまた素晴らしいと思いました。知りたいと思った現在の時間を素材に加えた訳です。これを『梅花心易』といいます。

易においても占おうと思った時間は偶然ではなく、それは変えられないとしているようです。サイコロを振るのは一回だけだという怪しげなお約束に思えてしまいます。
時間を素材に使った占断は他にもあり、僕は時間と暦がキーワードのように思います。
暦については判らないことが多すぎてどうも把握できません。
ただ、この両者の素材を占断に加えると同一の案件は似たような判断がされるようでした。

問題なのは何故当たるのかという事が知りたい訳で・・これは推測になりますが
占術とは多分いろいろな言葉、表象される文章などを用い、現在の状況を推測しながら未来、近未来を人間の6感『勘』をつかっての予測と思われます。
ですから単に目の前に座った人の現在の状況を推察し、その当たった分の確率で未来が当たっているという考えは正しいと思うのですが。
そう考えると「何故当たるのか」というより「当てる」という占断者の力量もいなめません。
易という分野で言えば、易で大事なのは人の人生で現れるだろう事象の全てについて、現在がどれに当てはまり、次はどのように変化するのかそしてどうなる 確率が高いのかを把握する高度な学問だと思いました。

考察1では実際の占断を分析してみます。

占術について多角的考察